浮草 (1959) 監督 小津安二郎






ストーリーほか作品情報: wikipedia




2017年秋より都内名画座(神保町シアター・ラピュタ阿佐ヶ谷・渋谷シネマヴェーラ・池袋新文芸坐)と、大映映画の版権を持つ角川映画(角川シネマ新宿)が連動して開催中の「大映女優祭」。ほんとぜんぶ観たいけどそうゆうわけには行かず、仕事の合間に厳選して通っております。そこで長らく未見だったこの映画を、しかも4Kデジタル修復版(ということはつまり、公開当時の色彩に近いかそのものってこと!)で観賞。大傑作大感激大感謝!!!









角川シネマ新宿 では 2017年12月9日〜2018年1月12日まで開催。





「浮草」いやあ面白かった。最高。

冒頭の灯台が見えるカット、その色彩・質感から私の胸は鷲掴みにされた感じ。なんと言えばいいのだろう?自分が生まれる前の、先人が生きてきた日常、見ていた景色やらすべてを追体験させてもらっているような。間延びした漫才のような(その間延び感がたまらない)会話や仕草に笑い、中村鴈治郎(二代目:1902-1983)と京マチ子(1924〜)の大阪弁まくしたての大げんかに背筋震え ↓ くわしくはこちら(必読)

イラストレーター 牧野良幸さんのサイト「京マチ子と中村鴈治郎の雨中の罵り合いは必見」ページ








土砂降りの雨を挟んで、軒下から罵りあう二人。屈指の名場面です。





京マチ子の色気も良いし、そんな油が乗った女がダメな鴈治郎への愛あるがゆえの妬み恨み辛み。感情的なお芝居、当然互いに激情しているのに、お互いに男であることと女であること(もちろん昭和30年代の感覚として)を踏まえてのぶつかり合い。男尊女卑が当たり前なうえでの対決なので、京マチ子の食い下がり方と中村鴈治郎の容赦ない撥ねつけ方がスリリングではらはらします。








左:京マチ子 右:中村鴈治郎







大衆演劇の座長、中村鴈治郎率いる一座がやって来たのは志摩半島ののどかな漁村。ここでしばらく「赤城山」ほか演じるわけですが、鴈治郎がここに来た目的は別にあり、実はこの村に隠し妻・杉村春子と今や10代後半大きく成長したイケメン隠し息子・川口浩が暮らしていて、鴈治郎は(自らの立場がヤクザな稼業という理由で父親であることを隠し)川口浩のおじさんとして久々の再会を果たすわけです。








左:川口浩 右:若尾文子





鴈治郎が別宅へこそこそと何度も通う姿を怪しんだ、看板女優で鴈治郎の愛人でもある京マチ子は嫉妬し、雨中の口喧嘩で収まらず、今度は若い女優・若尾文子(当時26歳だけどたぶん設定はティーンエイジャーで、まさにそうとしか見えないピチピチ感)をけしかけ、川口浩を誘惑するよう仕向けます。












若尾文子は姐さんに言われるまま、子ども〜大人の女への狭間な時期の好奇心みたいなもので川口浩を誘い出し接吻します。川口浩わけの分からないまま受けて、しかしやがて二人は本気になっていきます。やがてそのヤクザな稼業の小娘と将来ある息子の禁断の恋が発覚し中村鴈治郎狂ったように怒るわけですが、いやもう若尾さんと川口さんの惹かれあう様が、誰にでもある初心なころを思い出させる感じでたまらなく良かった。











「彼岸花 (1958)」 ほか多くの作品が、言ってみれば格式高い「松竹映画」であるのに対して、小津安二郎初の「大映映画」だからだろうか?「軽妙洒脱」という言葉が他の作品と比べてピッタリくるような、本当に愉快でラストにはじんわり胸うつ傑作喜劇でした。












あともうひとつ。出演するものすべてに目が行き届いた演出。小津安二郎作品の緻密さを感じました。座員たちがチンドン屋に扮して村を練り歩く時についてくる村の子どもたち、ひとりひとりの仕草が自然で。台詞がない人たちの立ち居振る舞い、動く間(ま)まできっと計算されているのでしょう。しかもそれが計算に見えないところが素晴らしい。

「浮草」日本映画の宝、その一本です。












いやいや、文芸巨篇とか格調高いとかに目を向けず、ただフラットな気持ちでそう、「参加」する感じでスクリーン(テレビ画面)に対峙して欲しい。死ぬまでに絶対見てね!







↓ 劇場で展示していた台本







同じく、展示していた撮影現場の写真(貴重!)











2017年 12月22日
角川シネマにて観賞










Japan Movie