映画「アマデウス」について

人の死に目に会える?モーツァルト・レクイエムの秘密



映画「アマデウス」は、クラシック音楽の巨匠、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を描いた作品であると同時に、もう一方の主人公である作曲家アントニオ・サリエリの愛憎を描いた人間ドラマでもあった。天才モーツァルトと、当時宮廷作曲家としてもてはやされていたサリエリ。ところがサリエリはモーツァルトが近辺に現れたことにより、自分の凡庸さと、モーツァルトの天才に人知れず気付いてしまった。
葛藤の挙げ句、いつしかサリエリは密かにある画策をする。それは自分の手でモーツァルトを葬ることで、その天才を征服し神に捧げるという、凡庸な自分にとってはあまりにも甘美な、神にでも近づくかのような画策であった。
サリエリにとって幸いなことに、モーツァルトはその天才あるが故に、人の心に気付かぬ欠点があった。それがまたサリエリにそのような決意をさせる要因にもなったのであるが、その欠点のためモーツァルトは金銭的に貧しくもあった。
次第にモーツァルトは、その作品とは裏腹に苦境に陥っていき、肉体的にも蝕まれていった。
そして遂にサリエリのあの甘美な画策の決行の時が来た───。

モーツァルト最後の作品となった「レクイエム・死者のためのミサ曲」は、モーツァルト自身の作曲は途中までとなり、あとは弟子が加筆して完成したことになっている。聴いてみると、「Hostias賛美の生け贄と祈り」あたりからは、それまでの緊張感がなくなり、別人の作品のように聞こえる。この“レクイエム”は、モーツァルトの死に目に会える作品と言えるかも知れない。サリエリと当時の人々は、その画策によってモーツァルトの作品と一体化するという、嫉妬と憧憬をも満足させてしまった。

しかしサリエリは、晩年には、罪の意識に苛まれ結局、自分の喉元に刃を当て自殺を図ることになるのだが。