人情紙風船 (1937) 監督 山中貞雄






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映画監督・山中貞雄(1909−1938)は、監督に昇格してからのわずか5年間で27本の作品を残し、これが最後の作品となった。
現在、一本の映画としてフィルムが残されているのは、この「人情紙風船」を含めてたったの3本。あとは戦災などでフィルムが散逸しているそうです。









山中貞雄フィルモグラフィーのサイト




「人情紙風船」ただ古いだけの映画ではない、特別な作品として映画ファンの間では語られています。実は映画封切り日に山中のもとに「赤紙」が届き、壮行会が開かれ、彼は日中戦争へ向けて出征したのです。





「紙風船が遺作とはチト、サビシイ」の言葉を残して。






山中貞雄 Wikipedia








非情にも「遺作」は現実になってしまいました。山中は中国・河南省の野戦病院で戦病死。享年28。

そんな哀しい末路だけに、この「遺作」にはそこはかとない暗さが内在する。それは偶然だったはずなのに、いやひょっとしたら監督自身の運命が、知らず暗示されていたかのようにも感じる。

通常ならハッピーエンドになるような展開が、一転して救いのない結末に。ただその暗さの中には、同時にそこはかとない哀愁、美しさが内在しているのだが。

監督の死により、そう、もっともっと撮りたかったのに、もう2度と撮れない無念さが、この映画をさらに暗く彩ってしまっているように感じるのは私だけではなかろう。







映画監督 山中貞雄








↑ 甥であり、まるで山中の遺志を継ぐかのように時代劇を取り続けた、映画監督・加藤 泰 (1916-1985)による本。







のちに名匠として語られる稲垣浩、小津安二郎、そして黒澤明らなどと同世代なだけに、「もし」生きていたならどんな映画を作り続けていただろうか? あるサイトには、山中の死によって黒澤明(年齢は一歳違い)が、果たしてそれほどに評価されたのだろうか?などというのもありましたが、ま、それはそれとして。





伊丹十三監督の父親・伊丹万作 が書いた本。



人間山中貞雄






監督作27作品のうち、一応現存して通して観ることができるのは3本。ただし戦後GHQにより特にチャンバラシーンや恨み晴らすシーンなどは勝手に割愛されたらしいので、果たしてこれが本当に当時上映されたバージョンかどうかはわからないままだそうです。







現存するあと二本の映画はこちらから。


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山中監督はきっと天国で、「そんなシャシンより、もっと面白いもの山ほど考えていたのに!」とか言ってると思います。でもそれが運命だとしたら(哀しすぎるけど)だからこそ、伝説として語り継がれているのかもしれません。是非の観賞を。













2007年 8月11日
早稲田松竹にて観賞






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