紀州の釣り情報を書いてあります。

紀州釣り情報


おかっぱり釣り今昔 
60年間竿を提げて海・山・川へ
kazuの

速報 11月半ば
あんなに暑かった夏もあっという間に秋になり、また寒い寒いと口癖のようなことを繰り返し新年を迎えるのでしょうね。
新しい年はどのような年号になるのか、とりあえず平和で穏やかな世界であり日本で在ってほしいですね。

 さて釣りは絶好調。大物を狙う人は少々お金が要っても船で満喫するでしょう。
私のような者はそうはいかず、まず船酔いは半端じゃないから、絶対無理。

 経済的にも許されなくて、と言うより、丘から釣るのが性に合っているのでしょうね。
其れで今週もまた行くのですが、先週も土曜日の朝から出かけて日曜日の夕暮れまで満喫しました。

掛かる魚は大きくなってきたサバ、カマス アジ等、クーラー満タンに掛かりました。
もうすぐストーブの季節
一夜干しにした魚をストーブで焼き、つまみながら釣り談義、至福の時が流れる思いです。
今が旬。気候も穏やかで、先週は徹夜をしましたが防寒着を着ていたこともあり寒くもなく快適でした。

 夜明け前の入れ掛かりも目が覚める有様です。
特に夜明け前にサバの大物がかかる醍醐味は格別で、10号のサビキに二匹かかるとてんやわんやの大騒ぎ、何もかも忘れて興奮します。
サバは鍋にしても結構おいしく頂けるので、もちろんこってりと味をしみこませた煮つけは美味です。




















塾の合間は心を休める釣りでも
家族のきずなが高まる手段の一つ。
帰り道 家族で食事 
釣れた魚の自慢話
「また来ようね」は合言葉
塾に通う合間に釣りは家族を和ます遊び
家族のきずながより深くなる手段
笑うことや語り合うことを求めるなら
























9月23日 掛かるわ 掛かるわ >掛かるわ  海はカーニバル 魚たちで芋を洗うように餌をめがけて乱舞する。
クーラー一杯になるまでかかる

でも全く掛からない時期もあるから今が旬とみんな頑張る。
みんな笑顔
見んな得意顔

家族でいっよに楽しめば、絆がより深くなるのに・・・釣りにはそのような意味がある。


9月14~15日 曇り 海は波高し、湾の中で五目釣り

ところがまるで絶叫と言う言い方があっているような爆釣

3~4匹のアジが連になり掛かり続ける。
何百も・・・魚屋さんで8匹ほどで200円ほどと思うと実に楽しくなってくる。

いい一日でした。

9月1日~2日 10~15セントあじ 入れ掛かり 二人で250匹 えさアミエビ 200円 サビキ 家族釣りにもってこいの楽しい釣り
キスは最盛期の入りながら台風の余波でゴミが舞っていていまいち
さばカンパチ鯵 中型がクーラー一杯に、南紀熊野

8月29日 キス入れ掛かり 紀州南紀  波打ち際で掛かりだした・・・最盛期間近!


シーズンイン間近!

8/16 キス70匹入れ掛かり 
紀州南紀
アオリイカ1キロ1,2キロ  うき釣り 活き餌タカベ
紀州南紀、     


◆タカベについて 速報で書かせてもらっているアオリイカの生き餌はタカベと

このタカベはサビキでいくらでもかかる魚。持って帰って食べたりはしないが、アオリイカを釣るのにはアジなどとくらべてもそん色ない魚。私はむしろタカベを使っている。



安くつく事と海で沢山泳いでいるから、長年アオリイカはアジで釣るものだと思い込み、エサ屋さんで買っていたが

しかし売ってない時期もあり、それで仕方なく偶々かかったタカベで、それでいきなり3匹ほど立て続けにアオリイカがかかり、それからはタカベで。

最高の記録は一日で15匹かかったことがあり、 タカベは最高! おかっぱりには経費削減でうってつけの生き餌なわけです。















釣りの面白さを知っている人は、知らない人より得な人生を歩んでいるように私は勝手に思っている。



実は私はお酒が苦手で、オチョコに一杯日本酒を飲めば一人前に酔ってしまう。 その現実はどれだけ損な人生を歩んでいるかと言うことで、お酒を浴びて好きかって言って、グウーグウーと寝込んでしまう呑み助を見ていると、随分損をしているように思われる。


時にはそんな人の送り迎えも致し方ない。



やせ我慢のようだけど、釣りを知らない人は、私がお酒を嫌うのと同じで、彼らもまた死ぬまで釣りを知ることなく損な人生を歩むのだろうと思う。
ただこの話は突き止めたところで意味がなく、それは女性の好みと同じで好みはみんな違うから、あえて他人様に言うことなど何もない。

私は気が付けば70歳を来年は迎えるわけであるが、釣りをしていると自分の歳のことなど考えることは全くなく、二十歳のころにアユ竿を提げていたあの時の気持ちと何ら違うものなどない。



もしあるとするなら、糸がもつれたときなどは老眼鏡をかけ、目を細めてちょっとだけイライラしてもつれを直している。

それだけと思っているが、
 

 でもはっきり言って60年は相当の年月の積み重ねで、人生も釣り人生も遥か彼方から始まったことも否めない。


母親が後生大事にしている裁縫箱からそっと縫い針を2本、こそっと取り出し、更に仏様のろうそくを一本とマッチを



それで真っ赤にあぶって曲げ、釣り釣り針を作って川へ、焼けたことで柔くなったが、それでも何とかハヤなどは簡単に釣れて一人前に遊んだものだ。


60年前は子供なりに考えて遊ぶ工夫もした様に思う。
魚だけではなく当時は鳥も捕って食べもした。おやつなんてない時代。 山へ行き鳥を捕る仕掛けを考えた。

何においても子供は子供なりに工夫をして、それなりに結果に結び付けた。


私は今釣り道具屋さんに行けばありとあらゆる釣り道具が並んでいて、より大きな成果が出る工夫もされていると思う。


だから当然値もはってくる。つまり買いづらくなってくる。
まるで野球でも常勝する学校のように、お金がものを言う時代になったのかも知れない。

バス釣りなど最たるもので、釣り上げた魚を美味しく頂く習慣などどこ吹く風で、あくまでお金のいるスポーツとなった。
そしてそれが主流に

若い人が今の世で選んだ道だからそれはそれで尊重するが、海から釣り人の姿が消えたことも事実である。 次の写真は熊野の浜
この浜には500人もの釣り人が並び、釣果を競い合ったものだ。 あの頃の様に
過ぎし日を浮かべて、そんなことを思う事もしばしば













>夜になったからとか、雨が降ってきたからとか、寒くなってきたからとか、暑くなってきたからとか、そんな理由であたふたと竿をしまって家路を急いだことなど一度もない。


むしろ掛かるまで頑張るとか、意地を張るように只管頑張って、大物を釣り上げたことは何度もあり、好きこそものの上手なりと言うか、好きでないと出来ないような行動をこれまで何度もしてきた様に思う。



釣りは出合い頭もあれば、しぶとく頑張ってこそ功を奏することもあり、自然を相手にする奥深い遊びだと私は70年の経験からその様にとらえている、


これまで歩んできた道を語り、いまだ止むことない夢を語り、釣りに明け暮れた半生を、前向きに語っていこうと思っています。 興味のある方は覗いてください。








回顧録ってわけではありませんが >防波堤から長年釣りをしていて、船などで釣りをしている方から見ればかわいい話かも知れませんが、丘から釣ると言うことは地味ですが、やたらと我慢の釣りでもあるのです。







竿を出してから28時間が過ぎて、いまだ一度のあたりもなく竿を一本だけ仕舞かけ始めて時に大きな当たりが、


それはこれまで経験のしたことのない当たりで、強烈と言うより怖いくらいのあたりで、


それは生きた鯵を餌にアオリイカを狙っていた時のことです。」
強烈な当たりを繰り返しながら、落ち着いたときに慌てるようにヤエンを投じて糸を張り始めると、リールが唸り道糸が遠慮なく出て行き、竿先に伝わる強引に引く力は、相当大物に違いないと思われました。
それから果てしないやり取りが続き、500M500円ほどの道糸だったから切れはしないかと、随分気にしながら恐れながら引き寄せ続けました。



何とか射止めた時は56分が過ぎていて、翌日利き手の左手は真っ黒になるほどの血豆が至る所に出来ていて、手の平が黒く見えびっくりしたのを覚えています。


イカはアオリイカで、4.3キロあり、これまでの記録より2キロほど大きな姿に驚くばかりでした。


中々おかっぱりからこのサイズは珍しかった様で、あれから何年もアオリイカを狙っていますが、あの時のサイズを超えることはありません。


それでも今も毎週のようにアオリイカの大物を求めて通っています。

(自由テキスト)










海って?自然のすごさに感服です。  私が通う釣り場は湾の中で、波もおとなしく安全面では申し分なく、身内が心配するようなことはありませせん
そこはカマスがよく掛かって、一夜干しにして食するのが大好きで、クーラーに入りきれない位に釣れたものです。


ところが自然は私の想像を超える現象が起こるようで、一度目は考えられなかったですが、アシカがきびなごを咥えたカマスを追ってきて、私の前まで来てご対面です。
、 まさか真っ暗な海にアシカが目の前に突然現れびっくり仰天です。
そんなことがありました。









さらに同じ場所で、まだ明るいときにカマスを掛け静かに取り込んでいると、突然海一面にカマスが水面から飛びあがり 全身がはっきり見えるまで水面を飛んでいました。
それは湾の中一面で、おそらくその数は数千匹にも及んだと言っても過言ではないと思います。

湾の幅は三百メートルほどあり、そのほとんどの場所でカマスが水面から、さらに数十センチも飛んでいて 自然は凄いことが起こるものだと感心させられました。

>それから同じ湾でカマスを見ることはなく、あれだけいたカマスは過去の魚となりました。
おそらくメジロのような大物が海の色が変わるくらいに入ってきて、カマスが追い回され、命にかかわる脅威から逃れていたのでしょう。

われわれ人間も海と同じなら怖いでしょうね。 いつ誰かに襲われるかもわからないとなると思うと、
でも魚の世界では当たり前の現象で、
自然界はすごいの一言ですね




(自由テキスト)





それでもフグなどは、特に箱フグなどは、天敵がいないようでゆったりと泳いでいて、タモを持って行っても逃げることなくあっさりタモに収まり、それから水を切ると怒りだして、暢気なものですね。
海に戻してやると、やっと気が付いたようで、びっくりしたような仕草をして、いつ狙われて殺されるかも知れない魚に比べれば、幸せな生き物だと思います。

平気ですくえるってことは、何も悪いことなどしないと人を信じていると言うことと思うと、何故かフグは愛らしく、優しい心の魚かも知れないと思えて気が和みます。







私はこれまで数々の釣りをして来ました。当然渓流釣りも、 時には体にロープを括り付け、崖の上から滝つぼに竿を出しアマゴと言う魚を狙ったこともありました。
秘境の真っただ中で命がけで楽しんだものです。 今でも同じことを出来るかはわからないですが、探究心は一向に衰えていないことから、頑張るような気がします。


それでアマゴと言う魚は実に神秘的で、それは名が示すように天の子ではないかと思わされる訳です。




それは100M近くある滝の上の小さなたまりで悠然と泳いでいて、とても神経質な魚などとは思わないからで、ましてその場所で生きていることも実に不思議なのです。
どうしてこの滝を登ったのか?などと考えると、実に神秘的で、そのルーツたるや自然界を普通にとらえていては埒が明かないようで解ききれないのです。
>おそらく考えれることは、鳥の足にくっついて運ばれていったか、それとも獣に親魚が狙われて、お腹で卵だった子たちが、そこでたまたま獣に運ばれふ化することになったのか、全く分からないのです。

なぜアマゴを雨の魚と関西では言うのか、本当は天から降りてきた天の魚ではないのかと、

4メートルの竿に2メートルほどの糸をたらしその下に仕掛け、低い木が生い茂り普通に等竿は出せない。
こんな不自然な仕掛けで天から降ってきた魚を釣っている訳です。 もちろん天からの使いの魚かも知れないと思うと、釣れてもすぐにせせらぎに戻しています。
天の魚 正にその名前があの地へ行けばよく似合うことがわかる。天空の釣り場でした。
冬場になれば1メートルも積もった雪の中を・・・ もう無理でしょうね・・・











このアマゴももっと前にはその数は信じられない位居て、それも尺物と言われる大きな奴が、浅い川の中で背を出しながら泳いでいた様です。


釣り人も居らなかったことから悠然と泳いでいて、たまに来る釣り人は目の前の光景に興奮して、竿を逆さにして竹竿の根元の節が詰んだ太くて固い部分で、アマゴの頭を叩いて気を失わせ、リュックに詰め込んで持って帰ったようです。


それを繰り返していていつの間にか、アマゴの姿は消え、だからいなくなったと思われます。


私が夢中になっていた当時、尺ものが上がったと噂に聞けば、誰もが目の色を変えて噂が出た川を訪ねて行き、そして私がその場所に着いたときには、すでに数組が川を上ったと、
既に釣り終え、帰り支度をしている釣り人から聞かされ、愕然としたことがありましたが、



尺ものを当たり前のようにクーラー一杯釣っていた人を知っていたから、その時随分時代が変わったことを知らされました.













「奥さんこれお土産」
「小さいなぁー」
「小さい?」
「お父さんが行っていたころはもっと大きかったよ」

既に亡くなった人だから確かめようがない

「そうですか・・・20センチはありますが・・・」

「お父さんが釣ってきてた頃は30センチはあったなぁ」

「でも親父さんから聞かせてもらっていた場所へ行ったのですよ」

「もうみんなで釣りあげて居れへんかも知れへんなぁ」

「何年も経ちますからね。聞かせてもらってから」

「なんか寂しいね」

「ええ、海も川も渓流も 様変わりしましたね。」

「お父さん、釣り好きには、いい時代に生まれていい経験をさせてもらったってことね」

「ええ、毎年様変わりしていくように思います。」

「そうだねぇ」

この会話をしてからどれだけたったのか、最中でないですが、間違いなく時代が変わっていっているようです。

海へ行けば漁師が魚が取れないから、油代が出ないからと船を留めたままで一日が過ぎているようで、おかっぱりの私には少ない選択肢で楽しまなければならないようです。

許される環境の中で楽しむことでしょうね・・・もうすぐ秋です。掛り始めたキスを狙って来週は波が収まれば間違いなく楽しめるでしょう。

(八月中旬 70匹くらい釣りこれから楽しみです)
キス釣りはもしかするとアユ釣りに似ていて、その繊細さはともに引けを取らないように思います。 一匹一匹と針にかかる姿が目に浮かび、ぐいぐいと竿に伝わるキスの命がけの抵抗が、ある意味興奮させられます。
指先に伝わるキスの最後の抵抗こそ、繊細な釣りのだいご味でしょう。
これから秋にかけて波が穏やかになればキスのシーズン到来
針に5匹も6匹も連なって掛かり、しばしの間興奮しながら楽しめます。
紀伊半島のいたるところで楽しめ、一度楽しい思いをした場所はキスのポイントとなり、後に成っても楽しめるでしょう。

ちなみにこれまでの最高記録は、かなり型の揃ったのを186匹釣ることがありました。
キス釣りを得意とされている方なら、その数字はたいして多くなく、また秋になればキスが浜辺で踊るでしょう。

キスの話はともかく台風で番狂わせになり、荒波ではキスは当てにできないばかりか、時たま来る大波に驚かされる始末だから、キスはあきらめ、しばし産卵を終え見えなくなったアオリイカを狙いに、
ところがこれもまた自然がもたらす恩恵なのか、アオリイカが立て続けに餌のタカベに食いつき、1キロと1,2キロを難なくゲットしました。



今の時期にと思われましたが、知り合いが言うには、 五月の産卵期に相手を見つけることができなかった連中が生きていて、言わば残念イカだって まるで小豆島の石のように、大阪城の石垣に出来なかった真四角に切り出された石を思わせる内容
「お前さん達、婚期をいして俺なんかに釣られて・・・」
そんなこと言わなかったですが、格子に切り目を入れておいしく頂きました。 とろけるような甘味がにじみ出てきて格別でした。n>














釣り歴はおかげさまで60年位になります。つまり10歳からと言うことですが、よくここまで飽ることなく続いているものだと感心です。

さぞかし大物をたくさん仕留めただろうと思われそうですが、それはおかっぱりで、船で行くようなわけには行かず、全てにおいて安くつく釣りですから、多くは望めないってことでしょう。

例えばクロダイ【チヌ】をどれだけ釣ったかと言えば、56センチほどのを釣りましたが、チヌ釣りの名人ならそんなサイズ行く度に釣っているでしょうし、
真鯛も67センチを釣りましたが、それも同じで船で行かれる方にとってむしろ小さなサイズかも知れません。



マゴチやヒラメも60センチのサイズを釣りましたが、それも同じようなもので誰でも長らくしているといつかで会える魚たちだと思います。

カレイはすこし自慢が入りますが、54センチを釣り、それが大物だとなり、テレビ局から出てくださいと・・・恥ずかしながら出させていただきました。

おかっぱりは常に待つ身 じっと我慢して潮が動き、魚がお腹を空かし始めたらチャンスがやってくるわけです。 それを釣るのですから忍耐が要ります。

秋にかかるキスはそんなことはなく、エサが海に投げられたら飛んできて餌に食いつくわけですから、いたって簡単でストレスなどたまりませんが、



変わった魚を釣ったこともあり、釣りあげながら仰天してしりもちをついたその魚は、シタヒラメでした。 本名はウシのシタと言うのですか、60センチ近くあり、気持ち悪さに後ずさりしたものです。

シタヒラメなど15センチほどの姿を魚屋さんでよく見ていましたから、それが後に日本記録に近いサイズだと聞かされ驚いたことを覚えています。



長年携わってきた釣りは、時には子供達の心を開くこともあったでしょうし、彼らの逃げ道を作ってあげたかもしれません。
子供たちは一日遊んで、屈託のないこころにすっかり洗われて、家路についたように思います。
だからこの歳まで飽きることなくできたのでしょうね。

つまりそれは子供たちがまっすぐに生きてくれているから
和歌山県、串本橋杭です。こんな見慣れた風景も拝めます。






プロフィール
釣り歴60年 未だ衰えぬ釣り魂。いい趣味に巡り合えた半生であったと感謝の日々 若者のように今日も海へ、そして川へ

釣りきち和の釣り紀行

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